カメラのファインダーが見せる写真の世界

 皆さんはライカの35mmファインダーをご存知だろうか。

だいぶ前に写真雑誌の記事で読んだのだが、これがメチャクチャ美しいそうだ。その著者によると、すべての景色をこのファインダーを覗いて見たいほどの衝動に駆られる程の美しさらしい。

なのでM3のホットシューにつけて、わざわざこのファインダーで撮影する人もいるそうな。(ちなみにM3は35mmの画角までファインダー対応している)

なるほど、一度見てみたいと思ったが残念ながら今まで縁がない。(中古でも8万円前後するからその人気は計り知れない)

そもそも、フィルム時代のライカは美術工芸品のような佇まいで、プロポーションもよく、ホールド感もしっとりと落ち着いていて、良い感じの重さである。レンズのヘリコイドのテンションも心地良く、最近のレンズのようにカタカタすることもない滑らかさである。とにかく触り心地が抜群で、人々が魅了されるだけのことはある。

さらに、中判の雄ハッセルブラッド。

なんといっても、ハッセル好きはこの少し大きめな四角い画面の中に見える画像の美しさ、そして自己主張してやまない大きめのシャッター音に魅了される。これはスウェーデン鋼のもつ気密性の高い金属のなかで幕が開くときに独特な音色を奏でるのである。プラスチックボディのカメラではこうはいかない。

何を言いたいのか…

 

写真とは感性である。(この感性とは五感を含めて感性という)と言いたい。

 

そして、この感性を刺激するのがファインダー越しにみる情景、フィルムを巻くときの音、シャッター音、ボディの感触なのである。

ミラーレス一眼がもてはやされる今日この頃。

軽量化・高機能だけで五感を刺激しないカメラでは、写真を撮っているという実感が希薄になる。

そんな気がしてしまう。

一度チャンスがあったらその美しいファインダーを覗いてみてほしい。独特な空気感を感じることができる筈である。

もちろん、軽量・高機能、結構である。

しかし、インスピレーションは脳が感じることで、五感を通じてイメージが形成されて、写真を撮るという行為におよぶという一連の動作は、カメラと感性が紡ぎだした結果ともいえよう。

ブレッソンや木村伊兵衛やジャン・ルー・シーフ、セバスチャン・サルガドが常にLEICAを手放さなかったように…

アンセル・アダムスがディアドルフ8×10やHasselbladを好んで使ったことや、ロベール・ドアノーやリチャード・アベドンがRolleiを常に使っていたことなども機材と感性が密接に関係している証である。

もちろん、デジタルカメラを否定しているわけではない。

むしろ、デジタル処理を含めてデジカメの優位性もある。けれど、フィルムカメラはこの部分で優位性がある。