写真の悦楽

 さきごろ偶然 you tubeの中に杉本博司氏が出ている動画を見る機会があって、実に感動をしました。かなり前になりますが、コンタックスのカレンダーに彼の海景シリーズが採用されたことがあって、実に面白い作家だなぁという感じで見たんですが、他の作品を見ても正に全てがSugimotoワールド。

 映画館を長時間露光で撮影して、スクリーンは真っ白、 館内がライティングしたように写っている。これは映画上映全てが終了するまで長時間で露光したことによる結果であって、彼によればフィルム上に映画のすべてが写っているという事になるそうです。勿論、スクリーンは露出はオーバーになるわけですが、映画の上映している時間の記録としての写真、その結果浮かび上がるゴシック調の建築物を含めて「映画のすべて」をある意味記録している作品といえるのかもしれません。他にも、肖像写真と思いきや蝋人形だったり、動物写真に見える写真も博物館で撮影した写真など、写真のもつ正確に記録するという本来の機能を昇華してアートにしている作品といっていいのかもしれません。よって、作品のほとんどはモノクロ、しかも8×10(A4サイズ相当)フィルムで制作されています。彼によれば画像を加工できるデジタルは本来の写真ではない。ということで、カラーフィルムも正確に色彩を表現できるわけではないので、抽象的に表現できるモノクロこそが、最も自らの表現にふさわしい媒体であるとのことです。

 実は彼の名前は日本よりアメリカで知られており、活動拠点もニューヨークであることから、あまりご存じない方も多いと思ったので今回ご紹介しました。

 写真家というよりも現代アーティストといったほうがいいと思いますが、彼の作品の面白さは、その空気感にあり、一般的な写真の概念からは逸脱していると感じる人もいるかもしれませんが、写真でしか成し得ない「かつてそこに存在した時間の跡」を記録している意味で真の写真家であるかもしれません。

 意味もなくただ漫然と常識的な写真を模倣して、写真とは何か?という本質的な核にフォーカスせずにデジカメの機能に頼った作品作りをしている人達とはまったく異なることは確かで、作品を製作するにあたって多くの時間と労力をかけて作品を作り上げる本当のアーティストに尊敬の念を覚え、私自身気を引き締め直しました。

 この意味をわかってくださる方は少数かもしれませんが、もし気づきを得ることが出来たなら、少しでも何かの役に立っていただけたのなら望外の幸せです。

 最後に、私自身はデジタルカメラは写真の敷居を低くして、写真人口増大に寄与している意味で大賛成です。写真がもつ多彩な表現力の素晴らしさと、日常の記録として多くのコミュニケーションに役だっているという意味でもデジタルの普及は欠かせなかったと思っています。しかし、それが全てであるとも思っていません。アートとして考える写真は、杉本氏やアンセル・アダムス氏に代表される写真哲学が無くてはならないと考えています。そして、その表現は、完全に自由であり、デジタルからフィルムに転向していく人もいるでしょうし、フィルムでのみ写真表現をするということも、当然アリなのです。

 つまり、写真の本質は流行ではなく、ライフワークそのものなのです。