最近の写真事情

Hasselblad&フォルティア(フィルム)で撮影した作品
Hasselblad&フォルティア(フィルム)で撮影した作品

最近の写真事情についてひとこと。
巷では、すっかりデジタルカメラで写真を撮ることが、主流になりフィルムカメラは益々少数派になってしまいましたね。

このことが悪いとか、間違っているとかを言うつもりはありません。

事実、私自身も現在では99%デジタルです。

しかし、フィルムが古臭いとは全く思っていませんし、フィルムカメラで撮影する瞬間の至福のときはデジタルにはありません。全く撮影するプロセスが違いますし、時間の流れ方も違います。(これは両方経験しなければわかりませんが…)

ですから、フィルムで撮るときは完全にマニュアルです。オートで撮ってはフィルムの面白さがありません。じっくりと露出計で数字を見ながらどのように再現されるか脳内に映像化していく作業は、デジタルで液晶表示で見る画像よりも正確に写真として出来上がっていきます。ちなみに、私の使うフィルムカメラは、ハッセルブラッドですが、あえて露出計なしのプリズムファインダーを使っています。

その理由は、余分な情報は却って邪魔だからです。

実際、じっくりというと相当時間をかけている感じがするかもしれませんが、10秒もかかりません。それは、物理的な時間ではなく、心象的な時間軸と言っていいかもしれません。だから、流れはとてもゆっくりなのです。(これもハッセル&露出計で撮影しないとわかりませんが…)

この至福のときを楽しむのがフィルムカメラの醍醐味ですね。

デジタルは全くプロセスが違います。詳しいことは長くなるので省略しますが、時間の流れ方が全く違います。一言で言うなら液晶画面からの情報を得て、写真仕上げのプロセス(レタッチ)、完成画像が頭に浮かんできます。

写真を始めた頃より思っていた、フィルムカメラの制約の多さが、デジタルによってだいぶ解消されたことは喜ぶべきことで、多くの写真家も同様だと思います。

一方で、ストレートフォトグラフィの美しさも大好きですし、一瞬によって切り取られ、完成するという作品も魅力があります。

つまり、デジタルとフィルムの優劣を問題にするのではなく、好きなスタイルを選べばいいのです。

それより問題なのは、マイノリティを排除しようとする動きです。希少性を悪や古いと考え排除しようとする姿勢は、初期のデジタル登場の時に多くの写真愛好家がデジタルは写真じゃないと言ったセリフと同じです。

そして、写真はプリントしてこそ写真であって、プリントしていない写真は作品ではありません。

つまり、どんなにリアルな映像であっても、五感で感じることができないバーチャルな世界は作品とは呼びません。

ちょうど彫刻を写真撮影し、その写真を彫刻と呼ばないのと同じです。

作品は生きています。作家の息遣いや感性は、作品を直に見ないとわからないのです。アンドレアス・グルスキーの作品が3億円以上の価格がついたのも6mという巨大プリントによってついた価格であって、インターネットの写真を見ても作品の価値が分からないと同じです。