今日は写真の日です。改めて写真について考えてみましょう。

ニエプスが設計図を引き、ダゲールが組み立てて、遠近法の確立をするために出来たカメラ・オブスキュラを化学作用で定着させる光を描く機械(カメラの語源はここからきています)が、1839年8月19日、つまり、今日から177年前の今日に天文学者で代議士でも合ったアルゴーによって、フランス学士院で開催された科学アカデミーと芸術アカデミーの合同会議の席上で写真術(Photograph)を詳細に発表されました。

この日を記念して、世界的な写真の日となっています。

 

ちなみに、日本の写真の日は6月1日ですが、これは日本写真協会が定めた「写真の日」で、上野彦馬が1841年6月1日、日本で初めて写真を撮影した日と言うことで、日本写真協会が制定したそうです。

 

この発表を聞いて、パリの歴史画家ポール・ドラローシェは「これで明日から絵画は死んだ」といったそうです。それほど写真は絵画の世界に衝撃を与えたのです。

 

そして、現在デジタルカメラとPhotoshopという画像処理ソフトが出現した時に「フィルムは死んだ」と言ったカメラマンがいたそうです。

 

現在、自由に画像処理できる簡単便利なソフトが生まれてきて、紙媒体からインターネットを通じて誰でも簡単に写真を発表する機会が増えています。

 

今まで写真家が作品を発表する方法といえば、写真集や個展などでしたが、現在ではインターネットを通じて、個展や写真集の販売数を軽く上回るだけの人に写真を見てもらえる時代がきました。

これを良しとするか否かは結論付けられませんが、粗製濫造も多く、写真の質の低下を危惧する声は多くなっています。

 

今一度、考えるべきことは、写真は何のためにあるのか、誰のためにあるのかです。

 

記録することが写真の目的ではありましたが、現在ではそれだけでなく、コンテンポラリーアートとしての「写真」が認知されてきています。

 

その結果として、アンドレアス・グルスキーやピーター・リクのように3億円・7億を超える価格でオークションで取引される写真もあるのです。

これらは、作品としての価値が認められているという証ですね。

他にも、多くの写真家(アーティスト)が億単位の取引がされています。

これらは、フィルムやデジタルによらず世界的な評価を得ています。

絵画においても、ドラローシェの心配をよそにもちろん高額な評価を得ている作品は沢山あります。

 

これらが生き残る、というよりより高く評価されてるのは何故でしょうか。

 

それは、作品にエネルギーが感じられるからです。

 

抽象的で良くわからない絵画であっても、写真であってもそこにエネルギーを感じるから人は評価をしているので、単純に造形的な美しさだけではありません。

つまり、このエネルギーを感じる作品というのは作者の思い(氣と言ってもいいでしょう)が作品を目の前にすると感じるものなのです。

 

これらを感じさせる作品とは、単純なソフトでは感じることは出来ません。

作者のエネルギーはそのプロセスを通じて発せられるものなので、既存のソフトや簡単便利機能で撮った作品には感じることが出来ないのです。

簡単便利な写真の世界から、本当の写真とは何か、この機会に考えてみることが大切ですね。

 

なにかで聞いたことがあります。

 

全ての答えは自分の中にある。

 

写真とは何か、本日は内省検討するいい機会です。