写真講義

久しぶりの有意義な本に出会いました。

写真とはなにか?

何を基準に撮影をするのか?

今混迷する写真業界にあって、写真とは何かを淡々と語るルイジ・ギッリの語り口はシンプルに写真の本質を語っています。

デジタル全盛の今だからこそ、写真とは何かを考えるのにとても役立つ本です。

この本は実際の講義テープを書き起こしているので、まさに講義を受けている気分にさせてもらえます。

著者の静かな語り口は、決して写真がどうあるべきかということに強制することもなく力まずに伝えていきます。

彼はいいます。「歴史上の偉大な写真家たちが、カメラ一台とレンズ一本とストラップ一本だけで歩きまわり、どれほど素晴らし作品を残したことでしょう」と、まさに至言です。

あくまでもシンプルに撮影する彼のスタイルこそ真の写真スタイルかもしれません。

常に感性の赴くままに撮影しているようですが、写真のメカニズム・知識・技術があってこそ実現されるものであることもこの本から伝わってきます。

是非ご一読ください。

ひとりの孤高の写真家を知り、写真の本質を知ることが出来る名著です。写真の本質を知りたい方には絶対おすすめします。

そして、何度も繰り返して読むことをお勧めします。


フィルムカメラでシンプル高画質撮影

ロベール・ドアノーは二眼レフのローライ

アンリ・カルティエ=ブレッソンはライカに50mm

サラ・ムーンですら、交換レンズは55mmマクロと105mm

ステーブ・ハイエットも同様で2本のレンズしか使っていない。

数が少なければいいものでは無いとはいえ、一様に一流カメラマンは交換レンズが少ない。

ほとんどの理由は、シンプルがいいということ。

過剰な荷物を持って疲弊して、挙句の果てにレンズ交換を面倒臭いというアマチュアカメラマンを数多く見てきた経験から言えることは、写真は機材の多さによって作品の質が向上するのではないということです。

どんなチャンスを逃すまいと用意しているにもかかわらず、結局使う段になって面倒というなら、持ってこないほうが体力を温存できるし、体力に余裕があればシャッターチャンスを逃さず撮影できますし、レンズ交換で悩むこともないですね。

もう一回、写真とは何か、シャッターチャンスとは何かをこの作品集を見て再考して頂ければ幸いです。



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フォーカス(集中)しよう!

写真だけでは無いと思いますが、成功と失敗を分けるものは何だと思いますか。

教室で講義(それ程、堅苦しくはありませんが)をしている時に、撮影の話をしているのに、カメラも性能や機能を話題にしている人がいます。ライティングの説明をしている時にメーカーや出力を気にしている人がいます。

確かに、必要な情報のひとつではありますが、一番大切なのは、どのように撮影すると、結果はどう写るのかということです。

これは、デジタルかフィルムがいいかということも同じです。

写真としての表現力やクオリティが高いことが写真として大切なのに、これはデジタルだから簡単に撮影できる。フィルムはそんな風には撮れない、だからフィルムで撮ることこそ写真だ、とか今更フィルムなんて時代遅れだと言っている人がいます。

これもナンセンス。

写真は表現にあったクオリティがあればいいので、フィルムかデジタルなどどうでもいい問題です。

まして、古いか新しいかも全く関係ありません。

写真は写真なので、デジタル・フィルムどちらもありなのです。

そして、いずれにしてもそのメディア(フィルム・デジタル)を活かした最高品位の作品を制作すればいいのです。

新旧は常に比較されますが、どちらでもいいのです。

好きな方を極めてください。大切なのは何を使ったかではなく、どのような作品であるかです。

現在は、写真もコンテンポラリーARTとして、認知されてきてデジタル作品も高額で取引されていますし、銀塩フィルムで撮影されてた作品も例外ではありません。確かなのは作品の良し悪しです。

このように写真の本質を忘れている事こそ問題なのです。

レタッチもそうです。一生懸命ソフトの機能や使い方を調べて学んだだけでは、写真は綺麗に仕上げることが出来ません。

どうしたら自然に豊かな階調を出せるのか実際の現場でよく見て、イメージを高めて作品に活かしていくためのスキルが大切なのです。Web講座はそのために開講しました。

つまり、写真というものは結果が全てということです。その結果を導き出すためにフォーカス(集中)することが大切です。

一点集中が成功の秘訣であると、気づかせてくれた本を紹介します。エッセンシャル思考という本です。

この本で一点集中することの大切さを再認識しましょう。

 


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写真表現を選べる時代なりました

レタッチに後ろめたさを感じたことがありませんか。

写真は真実を写すものだから、写真というのだ。だからレタッチはやっていはいけない。という人もいます。

確かにドキュメンタリー・記録写真であればそうでしょう。

しかし、アートとしての表現は全く違います。

フィルム時代から、現像処理、プリントテクニックを含めてアートな表現を目指す人々は殆どと言っていいほど、画像処理をしていました。

ただし、ブラックボックス化して公開はされていません。

仮に公開しても素人の手に負えるほどの簡単なものではありません。

しかし、デジタル全盛の今はソフトで高度な写真表現がスキルさえ身につければ誰でも可能です。(それほど簡単ではありませんが、フィルム時代からしたらかなり難易度は低い)その前に、この障害(加工の後ろめたさ)を払拭しましょう。


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感性の磨き方

センスがないとお嘆きの方。

あなたは間違っています。センスは誰にでもあるのです。

では、どうやって開発するのか。

答えは環境です。

感性を磨く環境にあれば人は誰でも感性が磨かれていきます。

動画を御覧ください。

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写真仕上げ上達の秘訣

写真を始めて上達してくると、写真の難しさが見えてきます。

その中でも最も難しいと言われるのが、写真の仕上げです。

写真は、絞りやシャッタスピードの組み合わせで露出が決定され、その露出をコントロールして作品のイメージの基礎ができあがります。更に仕上げによって、イメージを明確に「写真」として形作っていきます。

単純にシャッターを押すだけで写る写真も、コントロールして表現するという観点から見ると複雑多岐にわたって、どうにも難しい。

よく言われます。

しかしながら、この技術や知識をたくさん得ても作品の仕上げは一向に向上しません。仕上げのプロセスをなぞるだけでは写真を仕上げるために大切な感性が身につきません。

かと言って、闇雲にあっちこっちいじった挙句に、よく分からないので元に戻したというのでは、これも進歩向上しませんね。

仕上げのスキルに関しては多くの情報を手取り足取り聞きながら(書類をみながら)やっても意味がないのです。ある程度の情報から意味を読み取ろうとする努力と、その着地点を探る努力がスキルアップになるのです。

口を開けて餌を得ようとするよりも、つまづきながらでも、試行錯誤して解決しようとすることで力が得られるのです。

これこそまさに啐啄同時です。

つまり、我慢できること、努力できること、指導者なり上級者の意見を素直に聞けること、指導される能力が最も大切になるのです。

思ったことが思うように出来ないのは、どこかが間違っているのです、その間違いこそが、もっとも必要なスキルを身につけるチャンスです。

繰り返し努力をして、その後少し休んで一旦全体を眺めてみる、そうすると必要な何かが見えてきます。

どうしても分からないときに、指導者や上級者に聞いてみましょう。砂漠に水が染み込むようにスッと体得できる筈です。

 

 

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身の回りにあるものを被写体にしてみましょう

クリックすると拡大します
クリックすると拡大します

写真は、MONO(物)を見る目が大切です。

殆どの人はMONOを物としてみています。たとえば、洗濯バサミ。

機能を追求した形は、まるで魚のように見えてきます。

この見えるということが大切だと思います。

風景でもスナップでもそうですが、既存の発想だけで被写体を捉えると、そこから新しい何かが見えてこない。

ひまわりを撮りにいけば、ひまわりしか見えない。山を撮りにいけば山しか見えない。お祭りでもそうです。

もちろん、本当に見えないのではなく、見ていても被写体として見ていないということです。

写真を撮るときの心構えは、「地球に始めて降り立った宇宙人のような気持ちで見ることだ」と言われています。

そんな気持ちを持ち続けられると、写真を撮ることが飽きてこないですね。

もう一つ大切なことですが、

真似しましょう。

いい作品を見たら、ドンドン真似をしましょう。

そっくり真似できたら相当なものです

真似しているうちに、いつしかオリジナルになってきます。

何故なら、この世に同じ人は一人としていないからです。

表現は100人いれば100通りあります。

真似しても絶対に真似できません。

でも、真似しようとするうちに技術や感性や視点が理解できてきます。

このことは、仕上げ(レタッチ)の技術向上にも役立ちます。手前味噌になりますが、Web講座はこの方法をとっています。

 

いつでも新鮮な気持ちでいることは、脳が若返っているという証拠です。

赤ちゃんや子供が、何にでも興味を持つのと同じです。

この文章を読んでいる皆さんは大人(だいぶ大人の方多いと思います^^;)ですから、散漫な興味を持つのでなく、写真表現を通じて全てのMONOに興味を持つようにしましょう。

ここがポイントです。

写真表現に集中して興味をもち、常に写真で考え、見て表現してみる。

本当に大切です。

楽しんで、色々なものを被写体として撮影してみましょう。

そして、評価は偏見のない見方ができる上級者にチェックしてもらってください。

これが最も大切です。

 

 

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レンズのmm数を決めると写真が決まる

32mm f11 3.2sec
32mm f11 3.2sec
17mm f11 3.2sec
17mm f11 3.2sec

写真は焦点距離(レンズのmm数)によって決まる。

これは、写真上級者なら納得できる事実です。

写真を趣味としている人は、レンズの構成を標準域を含む標準ズーム(24-80mm)と、望遠ズーム(80-200mm)などを中心に揃えています。

もちろん、更に広角、望遠のズームレンズを揃えている人も沢山いますが、基本的には全ての画角を用意することが多いですね。

風景写真においては、その作品の性格上レンズのラインナップは重要ですが、撮影に際しては、撮影者の撮影しやすいポジションから撮影されることが多く、撮影意図よりも、撮りやすさが最大のポイントになっています。

今回のサンプルは同じ被写体を、レンズの焦点距離を変えて撮影をしています。

左の作品は、苔と緑の葉を中心に緑色の構成で、パースを強調せずに構成して静かな佇まいとしての渓流を表現しています。

右の作品は、左作品の左1/3程度の位置にある苔むした岩(左端の大きな曲がった枝で位置関係がわかると思います)にかなり近寄り、渓流の中に三脚を設置して手前から奥へ遠近感を強調して撮影をしています。

全く同じ被写体で、同じような比率で構成された作品ですが、印象が全く違っているのが分かると思います。

写真は、今回のケースのようにレンズの焦点距離で全く異なったイメージになります。

よって、安易にズームレンズを使って画角を決めるのではなく、撮影イメージを思い描いてから、レンズの焦点距離と撮影距離を決めて撮影する癖をつけましょう。

そのためにはレンズの画角を把握する必要があります。撮影地に着いたら、写真のイメージを明確に作り上げ、そのイメージに沿ったレンズのmm数を決める。

これは普段から意識しないと身につきません。カメラを持っていなくとも、イメージした画角と実際のレンズのmm数がどの程度であるかシュミレーションしてみましょう。これをドライシューティングといい、アンセル・アダムスも推奨しています。

これにより、レンズの把握やイメージの想定ができてくるようになり、写真の仕上げも上達します。

殆どの人は、写真撮影と仕上げ作業は別物だと思っていますが、上級者になればなるほど、仕上げのイメージから撮影をするようになります。

デジタルであれば、レタッチを含めた表現。フィルムであれば、ラボでの現像仕上げを想定して、露出やフィルターを決定する必要があります。

この意味がわかった時、レベルアップへの扉が開いたといっていいでしょう。

 

※今回のサンプル写真は共に、ISO100、PLフィルターを使用しています。

 

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ついていけない人へのメッセージ

学校教育の現場でよく聞く「落ちこぼれ」という言葉があります。

授業の内容について行けない時に、そう言われますね。

ところで、

人の能力は千差万別で、数学が得意な人もいれば、国語が得意な人がいます。

それを、押しなべて能力をあげようとするから「ついていけない」ということになるのです。

よくある例ですが、天才はひとつの能力に優れているものの、他の能力が極端に劣っている場合があります。逆に言うと、このギャップをして天才といえるのかもしれません。

つまり、ひとつの能力に長けている場合、長けている部分への集中力が高い分、他への意識が劣るのではないでしょうか。

写真の場合も一緒です。

スナップが得意な人もいれば、風景が得意な人もいる。

感覚的に写真を理解する人もいれば、論理的に理解しなければ納得出来ない人もいます。

私は写真を感覚的に捉えるタイプですが、感覚は人に伝わりにくいので説明はどうしても論理的な観点から伝えるようになります。これは言葉を使用する以上、仕方ありません。もちろん、できるだけ皆さんに理解しやすいように論理的な解説の中に感覚的な要素を織り込んで説明しようとしていますが、理解のスピードには個人差があるのです。

この個人差こそが個性なので、理解するスピードが違いは、全く問題ありません。

感性で物事を把握する人に論理的な説明をすれば、理解に時間がかかり、論理的に物事を把握する人に、感覚的に説明をすれば、理解に時間がかかるのは、当たり前です。

デジタルが主流の現在では、基本的なパソコンのスキルが求められます。これは完全に論理の世界です。感覚は通用しません。

写真を仕上げる際もそうです。

ブラシツールを使った後に、スタンプツールを使いたければ、ブラシツールを終了して、スタンプツールを選択しなければ使用できません。イメージ的にこうしたいと思っても、全て選択、完了という作業が必要になります。大体こんな感じ、と言うのは通用しないのです。

ところが、感性(イメージ)は、大体こんな感じ…なのです。

しかし、写真の能力を高めるためには、このギャップを埋めることが、写真全般のスキルアップに繋がります。

いままでの経験から言うと、理解の初速が早い人は、ある程度進むと鈍化して、初速の遅い人は、ある程度進むと伸び率が高い。

結論をいうと、ある程度のスキルをマスターするためには、同じぐらいの時間がかかるのです。

つまり、ついていけないと感じている人は、初速が遅いだけなので、全く心配ないということです。

写真は誰でも簡単に始められる趣味ですが、極めようとすると、とても奥深い趣味です。

長いスパンで理解してこそ、その真髄に触れることが出来ます。

最初のつまづきで、諦めたり、投げやりにならずに続けてください。

趣味は、学校教育と違って卒業(一定レベルをクリアしたとき)に期間の制限がありません。

周囲の人が短期間で理解しても、自分は自分のペースでスキルアップしていく。童話のうさぎとカメの話ではありませんが、自分のペースでスキルアップする人ほど、成長力が高いという実例は枚挙に暇がありません。

 

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クラッシック(伝統的)なことも学ぼう

デジタルカメラと画像編集ソフト(LightroomやPhotoshopがその代表格です)は写真の世界を一変させたといってもいいですね。

カメラのデジタル化とPhotoshopの出現は、写真業界の革命的な出来事です。それは歓迎と批判を伴って、現在まで成長してきました。まさにデジタル革命と言っても過言ではないでしょう。

こう書いてくるとデジタル礼賛とも受け取れる内容ですが、デジタルは決して特別なものであると私は思っていません。

写真は、デジタルであるか否かが問題なのでなく、仕上がった作品によって評価がされるのです。

最近、ドイツのアンドレアス・グルスキーの作品で、ライン川を撮った作品がオークションで3億4千万円という高額な価格で落札されました。

この作品はデジタルです。そして、それより以前ですが、日本の写真家である杉本博司の海景という作品も1億円以上で取引されています。杉本氏は、銀塩フィルムと8×10のカメラで撮影をしており、デジタル処理は一切行っていません。

このように、写真は内容が良ければデジタル・銀塩を問わず高価な価格で取引されているということです。

最近では写真はコンテンポラリーアートのひとつのジャンルとして定着しています。

もちろん、これらの作品の質感や描写力は抜群で、迫力と美しいプリントが魅力であることに疑いはありません。

ところで、話はぐっと身近なことになりますが、最近のコンテストの審査をして感じるのは、粗雑な仕上げが増えているということです。

コントラストがやたらに高い、彩度が高すぎてトーンジャンプしている。シャドー領域を覆い焼きしていない等、とても鑑賞に耐えない作品が目立ちます。

つまり、自己満足の領域を出ていない仕上げになっているのです。

写真は、メディアがアナログからデジタル主流になろうとも、人間は生身から機械に変わるわけではありません。

人が持つ五感、そして、第六感に至るまで昔とほとんど違いがありません。

人が美しいと感じる感性は、生まれながらに持っているそうで、これは学習により感じるものではないそうです。

しかし、どうしたら美しく表現するかは、学習が必要になります。

写真の仕上げが、暗室(Darkroom)から明室(Lightroom)に変わろうとも

表現(仕上げ)することに変わりはありません。

たとえば、ネガに感光された濃度によって階調が再現されるのと同じように、ヒストグラムは光の感光濃度を表しています。

モノクロに使用するフィルターで赤やオレンジ・黄色などのフィルターで撮影をすれば、フィルターと同じ色は明るくなり、補色は暗くなります。

ホワイトバランスは、色補正(CC)フィルターと色温度変換(LB)フィルターと同じです。等など…

これら、フィルムで必要だった知識は、デジタルでも健在です。

というよりも、写真を理解するうえで大変重要な知識であり、スキルになります。

私自身は、フィルム時代に培った知識やスキルをデジタル処理に置き換えて画像処理をしています。ですから、単純にソフトの解説書とは違う処理方法も沢山あり、それを教室やWeb講座で公開しております。

確かに、最近のソフトは長足の進歩を遂げました。しかし、先程も書きましたが、鑑賞するのは機械ではなく人間です。

ソフトやデジタル上では正しくとも、人の目は、細部や全体を見通すことが出来る眼(審美眼)を持っています。

その意味でもクラシック(伝統)を無視して、写真は成立しないと思っています。

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写真仕上げは知識や技術じゃない

デジタルカメラが全盛な現代において、写真は撮影するだけでなく、レタッチをして、作品を完成させることが写真ということになっています。

以前にも書きましたが、これこそ本来の写真です。

自分の作品に命を吹き込む作業が仕上げですから、この仕上げの部分をプロとはいえ他人に任せるのはARTではありません。

たとえば、モノクロは、多く種類の現像液があり、撮影をして現像するときにその中から作品のイメージに合ったものを選択して現像をしました。

粗粒子にしたければ、ISO感度をあげて撮影をして、増感特性に優れた現像液で増感現像をする。

場合によっては、印画紙の現像液を希釈して高温現像をして粒子を目立つ仕上げにすることもしました。

そのためにはフィルムとの特性と、現像の技術を磨く必要があります。

撹拌方法や時間、温度の組み合わせが作品のベースとなるネガになるのです。

この作業は、今のRAWデータを現像する時と一緒です。

RAWデータは撮影後に色温度やコントラストを表現したいレベルに調整できます。

大きな違いは、デジタルはやり直しが効くということです。

これが最大のメリットです。

今までは理想のフィルム現像に辿り着くまでに、多くの失敗と時間を犠牲にしなくてはなりませんでしたが、今では時間がかかるとはいえ、やり直しが効く。これはデジタルの優れたところです。

ところがこれがアダになるのです。

やり直しが効くから、何度でもやり直す。結果、どう仕上げていいか分からないということになります。答えがひとつであれば何とかなりますが…

それと、もっと大きな罠があります。

それは、パソコンのスキルです。

今までとは違い、手先の感覚や繰り返しによる技術向上と感性(濃度やコントラストを決める部分)が必要だった写真ですが、パソコンを介して写真を仕上げる現在においてはパソコンのスキルが写真仕上げに必要だと誤解されています。

写真はあくまでも感性が大切で、パソコンやソフトの知識があるから美しい写真仕上げができるのではありません。

よって、基礎的な知識しか持ち合わせていない人が、きれいなプリントを仕上げることができ、パソコンやソフトの知識がある人が、策士策に溺れるの言葉通り、レタッチし過ぎで酷いプリントになってしまうケースが多々有ります。

こう聞くと技術は必要、感性だけで、後は濃度とコントラストさえ上手くいけばなんとかなると誤解されそうですが、そうではありません。

あくまでも、仕上げは、その仕上げた内容が重要であって、技術を披露する場ではない、ということです。

徹底的に技術を駆使しても、その跡が見えないように仕上げる。

そのためには、ソフトの使い方が大切になるのです。

便利なものほど使い方が重要で、多機能なものであっても、機能に振り回されない。

これを実現するには、作者の作品を仕上げるイメージが明確になっていなければなりません。

高度な技術の習得と、それを感じさせない仕上げの美しさを目指しましょう。

パソコンやソフトを習得して、それに振り回されず、コントロールできるすべを身につけるのが教室やWeb講座であると私は考えています。

 

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年齢のせいにするな

あえて厳しいタイトルにしましたが、このタイトル否定的な意味ではありません。

実は、最近の齢を重ねた方のパワーに驚きを感じているという意味です。

少し前までは、80歳といえば完全なご隠居(失礼)でしたが、今の80歳はバリバリ現役な方が沢山いらっしゃいます。実際、当サイトで開講しているWeb講座でも、なんと御年83歳(教室では87歳が最高齢)の方がいらっしゃいます。しかも、かなり優秀です。相当な努力をされているのだと推察されます。なにより凄いのは、努力できる氣力が充実しているということです。私の尊敬する哲学者は90歳をすぎても講演を行い、人々を指導しておりました。年齢による体力低下は致し方ないものですが、氣力だけは年齢とは関係ない、そう思わせる人々が沢山いらっしゃいます。

もし、年齢のせいにしたくなったら、こういった方々を思い出してください。

ある本にこう書いてありました。人は年齢を演じているのだと、今の若者は今の若者らしく、病人は病人らしく、老人は老人らしく演じているのだと。

余談になりますが、こんな光景を以前見ました。病院の待合室で待っている患者が、隣の人と雑談をしていました。とても元気に、屈託のない笑顔で雑談に花を咲かせていました。声にも張りがあり、身振り手振りを交えて、それこそ全く病気を感じさせない程です。すると、院内にアナウンスがあり、名前が呼ばれたその人は、急に顔色が変わり、如何にも具合が悪そうに診察室に入って行きました。正直びっくりしました。その後、病院に行った際は(ほとんど行くことがありませんが、過去8年で1回だけ)待合室の患者を観察していますと、多かれ少なかれ病人を演じている人が結構います。

余談が長くなりましたが、要は、現在の自分は、自分自身が決めた結果の姿だということです。自信のある人は、自信あるように振る舞い、自信のない人は、まさに自信無さげに振舞っている。

大成功を収めている著名な経営者の方がこういっています。

人生うまくいきたかったら、人を心から褒めなさい。そして、自分をもっと褒めなさい。

至言です。

自分を卑下せず、人も認める。この姿勢こそ、大袈裟に言うと人生を楽に生きるキーワードだと思います。

教室やWeb講座で、ご縁を頂いた方のお陰で、多くの方の、心の姿勢と結果を見ていると、本当に身にしみて実感をする毎日です。

写真は進化する芸術です。時代とともに変化をし、批判・否定されても時代によって、常に新しく生まれ変わっていきます。だからこそ、柔軟な姿勢が問われます。これが、脳の活性化に良いと言われています。

是非、皆さんも氣力溢れて、楽しみながら、最高の趣味である写真を極める努力(悦楽)を体験してみませんか。

最後にひとこと、写真を始める(極める)のに遅すぎるということはありません。写真を始めたい(極めたい)と思った時が、BESTなタイミングです。

 

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写真のイメージとは

sample1
sample1
sample2
sample2
sample3
sample3

sample写真は、全てクリックすることで拡大できます。

注)拡大すると霧にモアレが出ていますが、これはWebサイズに縮小しているために発生しているもので、実際の画像には出ていません。

写真はまずイメージ(完成画像)があり、その完成画像を逆算して撮影に至る。

私は常々このように言っています。

この時に、よく質問されます。

どうしたら完成のイメージを想像できるのですか。

全くイメージが湧きません。

との質問です。

この答えの前に、写真の前提条件について知っておく必要があります。

それは、写真と現実は違っていて、同じ階調・色調では写らないということです。

次に、写真は強調と省略によって表現する媒体であるということです。

よって、見た目通りにプリントしようとすることが、その条件から外れているということです。

その前に、見た目とは何かですが、実は見た目ではなく、感じていたことが見た目であると判断している場合が多いのです。

たとえば、上のサンプル写真ですが、霧が移動してる瞬間をタイミングを変えて撮影しています。

殆どの人は霧の写真だから最も霧が深い時がいいであろうと判断します。

そうなるとsample3ということになりますね。

ところが、この原版はあまり霧の質感を表現するには適していません。

何故ならコントラストが低すぎるからです。

では、ハッキリとしているsample1はどうでしょうか。

これでは、前景の木立がはっきりしすぎて、霧の中という感じが十分に表現できません。

ということで、sample2が最も霧を表現するという意図にあっているタイミングであると判断できます。

このように、単純に霧の撮影であれば、霧がかっていればいいというのではなく、どのタイミングで撮影するか。ということにも意識をおきましょう。

この意識が習慣化すれば、仕上げのポイントが見えてきます。

霧の感じを十分に表現しながら、手前の木立も霞まずにシャープに表現できるタイミングで写真を撮影し、仕上げで強調をしていくのです。

つまり、霞んだ感じは、より霞んだ感じに、ハッキリしている部分は、明瞭に表現していく、全体の画面上重要ではない奥の木立の幹より、中央のダケカンバの白さとコントラストを強調しながら質感を出していく。これにより中央のダケカンバが主役であると表現されます。

つまり、主役にスポットライトをあて、脇役はその主役を引き立てるようにするわけです。この意識があれば写真の仕上げが格段に進歩します。

もちろん、それを可能にするスキルを身につける必要がありますが、まずは主役と脇役を認識する。この意識をもって、構図とタイミングに磨きをかけましょう。

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貪欲に行こう

皆さんは「啐啄同時」という言葉を御存知ですか。

↓ ↓ ↓

http://www.eonet.ne.jp/~jinnouji/page9/houwa/page178.htm

折にふれて、何度も述べているので、知っている人も多いとは思いますが、今回は物事を修得するための秘訣です。

写真のみならず、ひとつの趣味を極めようとすれば、努力は欠かせません。

独学という言葉があります。これは先達者の指導を仰ぐこと無く、独力で習熟しようと学習すること(Wikipedia)ですが、正直にいうと、この方法はある程度のスキルを身につけてから行うことが大切です。

全くの初心者が独学で、写真を学ぶ(学ぶという感じではありませんが…)時に、誤った情報と正しい情報が分からずに混乱してしまう。もしくは、繰り返し同じ失敗を続けてしまうことが多くなります。

この状態を続けていると、才能が無いと勘違いして諦めてしまうことにもなりかねません。

まずは、写真の技量と知識を持った人に師事し、徹底的に指導を仰ぐことが写真上達の早道です。

ただし、受け身ではいけません。

徹底的に師事した内容を形(写真)にして表現することが肝心で、ただ聞いてわかったつもりになっているだけでは、分かったとは言いません。

そして、態度も重要です。弟子(生徒)は師事する態度が大切で、指導される力がなければなりません。

指導者には指導する力がなければなりませんが、指導を受ける人は、指導される力がなければならないのです。

指導された内容を聞いていて、言い訳をする。写真を撮らない。実践しない。自分で検証をせずに、すぐに質問する等、積極性がない態度では、どんな優れた指導者についても、成果を得ることは出来ないのです。

つまり、指導者をリスペクトして、貪欲に指導を受ける。この態度が大切です。

どんなに良い環境であっても、その環境に感謝せずに、不満を持ちながら餌を口に運んでくれるのを待っている雛のようでは成長は望めませんし、独学できるレベルにもなりません。

マンネリや成長を阻む殻を破るためには、啐啄同時の精神でいきましょう。

そのような逞しい弟子(生徒)であれば、師匠(先生・先輩などの先達者)は必ず応えてくれるはずです。もし、面倒臭いという態度をとる師匠であれば、師事を仰ぐ必要のない人です。

そのぐらい、師弟関係は真剣でなければなりません。

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個性という名の無個性

ソフトの力に頼った表現はなぜ個性的ではないのか?

たとえば、HDR処理です。全ての階調が出ていて、まるで絵画のような表現をした作品は、今までの写真の概念から言うと十分個性的です。

↓ ↓ ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E5%90%88%E6%88%90

 

もっと身近な例で言うとフィルターです。クロスフィルターを使って光の粒を十字にフレアーさせてキラキラと表現した作品です。

↓ ↓ ↓

http://www.kenko-tokina.co.jp/imaging/filter/cross/4961607352205.html

 

これらの作品は、サンプル写真としては効果的なのですが、個性的かといえば誰が撮影しても同じように仕上がるため、個性的とは言えない可能性があります。

では、ソフトやフィルターによる表現は、写真としての価値がないのか、といえばそうではありません。

要は、依存しなければいいのです。

一つの表現に他の表現を加えて、新しい表現にすればいいのです。

創造とは、異質なものの組み合わせによって創造となります。

たとえば、HDR処理をして、そこにモノクロ処理した画像をブレンドして

奥行きをだす。コントラストの強い画像とコントラストの弱い画像をブレンドして、表現したい領域を広げると同時に省略をする。

このような、全く違う画像をブレンドすることによって、単一では成し得ない奥行きの深い画像を表現することが可能です。

もう一つ重要になるのは、撮影した画像です。風景写真なのかスナップ写真なのか、イメージ写真なのか、撮影した画像によって処理する内容も変わってきます。作品の内容によって、階調重視・強コントラストで階調を極端に抑えるなど様々な表現方法を学び、試してみて、表現の幅を広げることは、これからの写真表現を考えるうえで、とても大切なことだと感じています。

 

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HDR処理は是か非か

HDR処理した作品
HDR処理した作品
オリジナル
オリジナル

近頃、流行りのHDR処理。

写真として違和感がある方もいるかもしれません。

写真は記録だから、後で処理するのではなく、そのままがいいのだ。という意見もあります。確かに写真にはその一面があります。

しかし、ARTとして写真を考えるなら、もっと自由に写真を捉えてもいいと思います。

写真は、最も流動的なARTかも知れません。

ダゲレオタイプが写真の主流だった時に、フォックス・タルボットがネガからプリントする写真を発表して批判を浴びました。何枚も作品を制作できるものはARTではないということです。モノクロ写真全盛の時に、カラー写真も同様の批判を浴びました。そして、フィルムからデジタルへと変わろうとしている現在。同じような批判を繰り返しています。

つまり、写真とは固定化した芸術ではなく、常に流動的なものなのです。

そして、その価値を決めるのは鑑賞者と写真家(写真を撮っている人すべて)によってです。

ここが重要なのですが、新しいものが良く、古いものが悪いというものではありませんし、市場規模が大きいから正解で、マイノリティ(少数派)はダメというものでもありません。

ARTとは常に自由であり、表現の自由があってこそARTであるからです。

ところで、HDR処理ですが、この表現は作品のタイプによります。何でもかんでもHDRにして彩度の強調や階調が出ていればいいのではないので、作品として表現する際に、十分な判断が必要とされますし、そのクオリティも問題です。単純にソフトで簡単にできた。というのではディティールに問題がある場合があります。その中でも、偽色が最も注意すべき点です。画像の輪郭部分に全く違った色収差のような偽色が出ていることがよくあります。ソフトというのは、単純にツールを使って全てが上手くいくわけではありませんので、細心の注意を払って仕上げることをお勧めします。

たとえば、コンテストなどでは、審査員は、この部分をまず間違いなく見逃しません。というよりも直感的にわかるといっても過言ではありません。

審査員は、通常プロの写真家です。プロはアマチュアと違って感覚的に写真の本質を見抜く力をもっています。ブレた作品なども一瞬で判断できます。これは、ピントが合っている作品とテイストが違うからです。最近のデジタル作品で多いセンサーゴミも見逃しませんので、作品の仕上げには、十分なチェックをして応募なり、展示会の発表をするようにしてください。

一番よい方法は、写真の指導者やプロにみてもらうことですね。

少し話がズレているように感じるかもしれませんが、HDR処理は、その表現方法の良し悪しよりも、仕上げに良否によって判断されていると考えて間違いありません。

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楽しむということ

今回は、以前ブログでコメントした内容の補足的な意味合いでのブログです。

内容が重複している部分もありますが、

再認識するという意味でお読みいただければ幸いです。

 

最近のスポーツなどで「楽しみたいと思います」

というコメントが多くなっていることに気がついていますか?

オリンピックで楽しむとは言語道断だ。

国費を使って参加するのに、楽しむのでは困る。

勝ちに行けとのコメントをして避難を浴びた文化人がいますが、

この人はスポーツをしたことが無いんだと思います。

つまり、イメージ力が足りない。

 以前にもコメントしましたが、

その言葉の真意を考えずに、選手の立場になって

考える力が不足しているのだと思います。

 想像力のない人は創造力のない人とも言えます。

洒落じゃありませんよ。

 ところで、この楽しむという言葉

オリンピックに参加する選手は、言われなくとも

どれほど日本の期待を背負っているかわかりません。

その精神状態といったら、できれば辞めたいとさえ

思っている人もいるはずです。

期待に応えなければ、という気持ちと

自分の実力を発揮しなければ

という気持ちが常にあって

とても、平常心ではいられない筈です。

そんな状態だからこそ、リラックスして

いつものように行動できる状態に

するという気持ちから

「楽しみたい」という言葉が出てくるのです。

逆に言うと楽しめる状態では無いからこそ

楽しみたいという言葉がでるのです。

 

写真の仕上げに関してもそうです。

写真の仕上げは、とてもストレスの掛かる作業です。

ましてや、最初は全くうまくいかない。

こんな時の精神状態は、自暴自棄になったり

イライラしたりするのは当然です。

だからこそ、好きで始めた写真の感動や楽しさを

再認識して楽しむという気持ちにするのです。

これが、リラックスした状態を誘導して

長時間の作業にも耐えるスキルが身につくのです。

そして、スキルアップすると

逆に時間はかからなくなる。

これによって、本当に楽しいと思える

珠玉の時間、三昧の境地になるのです。

 ということですので、

みなさんも楽しんでください。

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才能が開花する時

いつの間にか気がついたら17年以上も写真講師をやっていますが、ちょっと感じることがあったので述べてみたいと思います。

写真の講座は、スタート位置がかなりバラバラで、たとえば、入門教室といっても10年以上のキャリアの人もいれば、全くの初心者もいます。当然キャリアのある人は何らかの理由で、基礎力不足を感じて入会していますし、全く初めての人はカメラの説明書を読んでもチンプンカンプンなので、カメラの使い方ぐらいは分かるようになりたい、と思って参加されます。そんな中で、正直言ってなかなか進歩の見えない人もいれば、あっという間にレベルアップする人もいます。ところが、面白いのですが、10年ぐらい経つと皆ほとんど同レベルの作品が撮れるようになるのです。逆に言うと進歩の遅い人ほど、レベルアップする確率が高いという事実もあります。

これは、ギャップがそう見えるのかと思われがちですが、そうではなく公平に評価してもレベルが高くなってくるのです。

このような人たち全般に言える特徴とは何だろうかと考えた時に、ひとつの答えが見つかりました。

それは、写真表現のコツを会得したのです。

コツというのは、「コア」を見つけたとも言い換えられます。

すなわち、中心を見つけたということです。

例えて言うなら、大きな板を指先一本でバランスよく保つためには、板の中心を指で支えなければなりません。この位置が少しズレるだけでも、板を支えることが出来ません。

上達の早い人はこの位置をすぐに探すことができる。一方、なかなか中心がわからない人は何度も繰り返し失敗しながら中心を探り当てる。

なぜ失敗したのか、どうしたらいいのかを考え、行動す(撮影)する。

この行為により、中心を捉えることができるようになるのです。

だから、なかなかうまくいかない人は、伸びシロがあるということです。

現在、スランプと感じている人は、今がチャンスです。

ジャンプするには、一度屈まないと高くジャンプできませんから、スランプはジャンプするために屈んでいるのだと認識しましょう。

そして、弛まず努力することで、自分の納得する作品ができるようになるということを確信してください。

ダラダラと続けるのではなく、積極的にアクティブに、常に写真に向かい合う姿勢が大切です。

最後に、努力というのはフィニッシュが最も大切です。

一生懸命努力しても、最後の詰めが甘いと努力が無駄になってしまいます。最後まで力を抜かず全身全霊でやりきりましょう。

不思議なもので、一度コツを掴むとドンドン良くなります。

これは、写真講師歴17年の私が保証します。

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写真は真実を写す?

写真は真実を写すから写真というのだ。
長い間、そのように言われ思ってきた人も多いと思う。

しかし、写真の原語はphotograph光を描くという意味で、真実を写すという意味ではない。

よく自然な色が出ている、色が綺麗に出ている。逆な言葉で自然な色とは違う、などという言葉を聞くときに、自然ってどの基準で自然というのだろうと思う。

たとえば、フィルムの色は種類によって全く違う。風景写真では圧倒的にベルビアが人気だが、富士フィルムの説明にも極彩色と謳っている。決して自然な色であるとは書いてない。

しかしながら、デジタルは不自然、フィルムは自然という人は未だに多い。

確かに、仕上げの仕方によっては、かなり違うというよりも違和感を感じる色で出力している人は多いが、それはどちらかと言うと階調のことを言っているのではないだろうか。

つまり、どんなに派手な色が出ていても、色の階調が十分出ていれば許容されてしまう。

さすがに以前富士フィルムが発売したフォルティアは、ポジフィルムであるにもかかわらず、かなりの極彩色になっていたので不評だったが…

写真の歴史を見てみると、常に自然・不自然。写真はこうあるべきという「べき論」がある。

つまり、それだけ新しいテクノロジーとともに表現が変化してくるのが写真とも言える。

ダゲレオタイプの一枚しか無いものを写真として考えていた時代に、ネガからプリントする方式を考えたフォックスタルボットが否定されたように、フィルムからデジタルも同じように批判されていた。

が、現在はそのように考え、発言する人は少数派になってきた。

HDR処理にしても、まだ黎明期なので全ての階調が見えるのは肉眼では見えないから不自然だ、という意見が多いがそのうち写真表現の主流になるかもしれない。

もちろんテクニックも同様で、技術的な要素が入ると不自然などと言われるが、名作と言われた多くの作品は、現像処理・覆い焼き・焼きこみ等、技術的な処理のされた作品が大半である。

現在は、全て公開する時代になってきたので、あらゆる技術が公開されている。

これはyou tubeなどをご覧になれば一目瞭然である。

今までだったら、技術的な要素を公開せずに秘密にしていたものが、ドンドン公開する時代なのである。

もちろん、全てを公開したから撮れるものでもないし、技術を聞いても出来るか否かは別問題であり、技術は感性と相まって完成するもので、そう簡単に真似ることは出来ないことも事実である。

だからこそ、これからの写真に求められるのは、作者の感性が表現された作品であり、その審美性こそが作品の価値を決めるのではないだろうか。

少なくとも写真を撮影している人なら、その写真の中に内在されている作者の意図や感性を感じとることが大切で、技術や場所やデータを第一義にするべきではない。

撮影に関する情報が多くなればなるほど、作品を鑑賞する感性が鈍るし、撮影するときにも同様に感性で撮影をせずに、論理的に撮影するようになってしまい。被写体を見て感じたイメージを表現することから遠のいてしまう。

そのために、できるかぎり多くの時間を、感性を磨くことに費やすことをお勧めする。

撮影然り、一流の作品鑑賞然り、読書・音楽や絵画、映画、演劇など、あらゆるものから感性を刺激出来るものに接して、感性を磨くようにすることが大切である。

ちなみに、感性は年齢とは関係ありませんが、経験を重ねることによって余分な情報が多く入ってくるので、鈍くなることがあります。常に既存のもののみにとらわれることなく、新しいことにチャレンジすることがフレッシュな感性を養うために大切です。

感動できる人生のために、ドンドン美しいものを見たり、聞いたり、感じたりしましょう。

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撮影の心得

光る霧
光る霧

写真撮影していると色々なことがありますね。たとえば、フィルターを忘れた、設定モードを間違えた、コントラストが不足している早朝撮影にもかかわらずAFモードにしてあったためにピントが合わずに、結局シャッターチャンスを逃した。フィルムの人などでは、必死に撮影したにもかかわらずフィルムが入っていなかった等、失敗は枚挙にいとまがありません。

そんな時に大切になるのは、リセットすること。

多くの人は、その日の最初の失敗経験(大概ミスは最初に起きるのです)を引きずることで、失敗の呪縛から抜けられずに撮影を終えてしまします。

たとえ一度のミスやシャッターチャンスを逃しても、頭を切り替えて次に撮影に集中すると、最終的にはチャンスをものに出来ます。

一度の撮影で、何度もチャンスを捉えられることのほうが稀で、何度かのチャンスを逃して、最後にいい作品が出来ることもたくさんあります。

最後の瞬間まで諦めないという姿勢が必要なのと、最初に上手くいっても、そこがBESTであるとは限らないということです。

つまり、撮影は終わってみるまではわからないもの。

上手くいっても奢らない、失敗してもヘコタレない。

この姿勢が大切ですね。

そして何より大切なのは、必ず一枚は良い作品が出来るという自己イメージです。

意思は努力が必要ですが、イメージは努力が不要です。

出来る自分をイメージしましょう。

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災い転じて福となす

豪雨の後に、晴天になった時の作品
豪雨の後に、晴天になった時の作品

随分と大げさなタイトルですが、この言葉、少し言葉足らずですね。

災い転じて福となすには、福を呼び込む努力を惜しまないことが必要です。

それと、福となるまで諦めないことも大切です。
たとえば、撮影に行った先で、絶好のチャンスを逃してしまう時があります。

光芒などがそうですね。

一瞬の光が雲間から射した時、このチャンスを逃してしまう場合があります。

そんな時、あなたならどう思うでしょうか?

すっかり、雲間からなくなって光芒は二度と出てこない…

あるいは、撮影地についたら土砂降りの雨。

全く晴れる様子が無く、ドンドン雲行きは怪しくなってきた時、

あなたならどう思うでしょうか?

私ならこう思います。

今日一枚必ず撮らないとならない、そのチャンスを掴むまで諦めない。

他の撮影地に移動するか、待つか。

今できる可能性の全てを考えます。

多重露出か、長時間か、ストロボを使うのか?

現在の状況から考えられる全てを考えます。

どんな状況になったとしても、撮影に行けば必ず一枚作品はできる。

そう確信をしています。

作品とは何か。

自分自身が納得できる基準をクリアしたものを私は作品だと思っています。

ですから、基準をクリアできなければ、クリアできる作品が撮れるまで続けます。

逆に言うと、撮れた時はそれほど深追いしません。

なぜでしょうか。

答えは、毎日撮影するからです。

たとえば、九十九里で撮影をして目一杯撮影をしたとします。

2~3日後に、また行く気になりますか?

自分自身のモチーフを乱獲しないことも、写真を長く弛まず続けるコツです。

では、諦めない秘訣を伝授しますね。

それは、必ず一枚は作品が撮れるのだと、確信することです。

しかし、努力は必要です。

先に上げたようにあらゆる方法、機会を捉え行動する。

これも大切なことですね。

 

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最近の写真事情

Hasselblad&フォルティア(フィルム)で撮影した作品
Hasselblad&フォルティア(フィルム)で撮影した作品

最近の写真事情についてひとこと。
巷では、すっかりデジタルカメラで写真を撮ることが、主流になりフィルムカメラは益々少数派になってしまいましたね。

このことが悪いとか、間違っているとかを言うつもりはありません。

事実、私自身も現在では99%デジタルです。

しかし、フィルムが古臭いとは全く思っていませんし、フィルムカメラで撮影する瞬間の至福のときはデジタルにはありません。全く撮影するプロセスが違いますし、時間の流れ方も違います。(これは両方経験しなければわかりませんが…)

ですから、フィルムで撮るときは完全にマニュアルです。オートで撮ってはフィルムの面白さがありません。じっくりと露出計で数字を見ながらどのように再現されるか脳内に映像化していく作業は、デジタルで液晶表示で見る画像よりも正確に写真として出来上がっていきます。ちなみに、私の使うフィルムカメラは、ハッセルブラッドですが、あえて露出計なしのプリズムファインダーを使っています。

その理由は、余分な情報は却って邪魔だからです。

実際、じっくりというと相当時間をかけている感じがするかもしれませんが、10秒もかかりません。それは、物理的な時間ではなく、心象的な時間軸と言っていいかもしれません。だから、流れはとてもゆっくりなのです。(これもハッセル&露出計で撮影しないとわかりませんが…)

この至福のときを楽しむのがフィルムカメラの醍醐味ですね。

デジタルは全くプロセスが違います。詳しいことは長くなるので省略しますが、時間の流れ方が全く違います。一言で言うなら液晶画面からの情報を得て、写真仕上げのプロセス(レタッチ)、完成画像が頭に浮かんできます。

写真を始めた頃より思っていた、フィルムカメラの制約の多さが、デジタルによってだいぶ解消されたことは喜ぶべきことで、多くの写真家も同様だと思います。

一方で、ストレートフォトグラフィの美しさも大好きですし、一瞬によって切り取られ、完成するという作品も魅力があります。

つまり、デジタルとフィルムの優劣を問題にするのではなく、好きなスタイルを選べばいいのです。

それより問題なのは、マイノリティを排除しようとする動きです。希少性を悪や古いと考え排除しようとする姿勢は、初期のデジタル登場の時に多くの写真愛好家がデジタルは写真じゃないと言ったセリフと同じです。

そして、写真はプリントしてこそ写真であって、プリントしていない写真は作品ではありません。

つまり、どんなにリアルな映像であっても、五感で感じることができないバーチャルな世界は作品とは呼びません。

ちょうど彫刻を写真撮影し、その写真を彫刻と呼ばないのと同じです。

作品は生きています。作家の息遣いや感性は、作品を直に見ないとわからないのです。アンドレアス・グルスキーの作品が3億円以上の価格がついたのも6mという巨大プリントによってついた価格であって、インターネットの写真を見ても作品の価値が分からないと同じです。

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快ストレスのすすめ

ストレス社会と言われて久しいですが、皆さんはいかがでしょうか?

もちろん、誰しも心配事を抱えているもので、生きている以上すべて最高という人はいません。

写真についても同様で、教室で出る課題がストレスと言う人もいます。

確かに、好きな写真だけ撮っていれば、ストレスを感じない気がしますが、実はそうでもないんです。

好きな写真だけ撮るということは、好きなときに写真を撮るということになりますので、撮影のペースにムラが出来ます。

つまり、気が向いたらドンドン撮影して、気が向かなければ1ヶ月も2ヶ月も撮らないということになります。

逆に、何も考えずに撮るだけ撮っている人もいますね。何でもかんでも写真にする。これだと、惰性で撮っているだけで作品にはならない。つまり、記録に終始しているだけです。

もちろん、写真を趣味にしているわけですから、どんな撮影をしても構いませんが、達成感がありませんね。

そうなんです。

趣味でも、仕事でも達成感が大切なんですね。

自分自身や他人の評価も含めて、成長しているという実感が人には必要なんです。

成長しているからこそ、充実感があり、もっと高みを目指す気持ちも湧いてくる。そのためには、自他共に認める成長があって、心の栄養になるんですね。

個人的な話をさせていただくと、5月10日より、毎日作品を作るという目標をたてて現在継続中ですが、これこそ自分自身の成長に不可欠だと思って始めたことです。多くの方から、あまりムリしないほうがいいのでは、という優しい声をかけていただきますが、大丈夫です。

なぜ大丈夫かというと、毎日作品を撮るということは、自分へのご褒美なんです。

自分自身への誓いを破るのは最も簡単ですね。誰に迷惑もかけないですからね。でも、やらなかった時、出来なかった時、言い訳を探している自分を第三者の立場にたってみたら、どう感じるでしょうか?

逆に言うと、出来たときは良くやったと思いますよね。

これこそ、ご褒美ということなんです。

もちろん、周りの方々からの賞賛も力になります。

写真講師という職業だからと思われる方もいますが、作品を作るのはビジネスではなくライフワークなので、関係ありません。

是非、皆さんも毎日とはいいませんが、最低週3日ぐらいは撮影してみてはいかがでしょうか?

確かに、らくチンとはいいませんし、ある意味ストレスです。ただし、不快なストレスではなく、快ストレスです。

快適なストレスは力になりますし、毎日作品を撮っていると、今までとは違った写真の世界が見えてきます。

この意味わからないかもしれませんが、やってみるとわかります。

少々使い古されたフレーズですが、いつやるか?

今でしょ!ですね。

【追記】

毎日の作品制作の中から1枚だけ、新作コーナーで写真公開をしています。

皆さんに見せることが目的ではありませんし、作品内容も教材的な内容では無いものもあります。では、なぜ公開したかというと、皆さんのモチベーションになると判断したからです。廣瀬が毎日撮っているから、自分も頑張ろう。そう思っていただければ良いと思って公開しています。

ご覧になりたい方は当サイトのメルマガ登録をしていただければ、パスワードをお知らせします。

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アングルとバリエーション(海岸撮影)

海岸撮影でのアングルとバリエーションについて解説します。

アングルを調整してパースの調整をしたり、アスペクト比やモノクロで表現することで効果的な表現ができるようになります。

 

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センスは環境

センスのある人とセンスのない人。
どこが違うのでしょう?

写真の教室でよく、私はセンスが無いという人がいます。

実は、この言葉は間違っています。

センスが無いのではなく、センスを発揮できる機会がなかっただけなのです。

はっきり言いますと、センスは環境で、遺伝はしません。

センスある人は、センスある人のもとに暮らしたり、センスある人が近くにいたりするからセンスがあるのです。

もちろん、例外はあります。しかし、例外はあくまでも例外であって、基本的には環境がセンスの要(かなめ)です。

それともう一つ。

技術です。

写真は、カメラを使って現像をしてプリントをする。

DPEとは、Develop(現像)・Print(焼増し)・Enlarge(引き伸ばし)と言う意味ですが、デジタルカメラではレタッチ(現像・テスト印刷)・引き伸ばしというプロセスです。

ということは、写真はこの全てをもって写真ということです。

最近はネットで写真をアップするだけで、プリントしない人も多いそうですが、厳密に言うとこのままでは、写真とはいえないのです。

プリントしてこそ写真であって、そのプリントをするために、露出やプリントの調子を調整して作品にすることこそが写真といえます。

では、どうしたら綺麗なプリントが出来るのしょうか?

写真を始めたばかりの方は、特に感じるかもしれませんが仕上げの調整をしようとすると逆にオリジナルよりも色が変になり、結局なにもしないほうが良かった。という経験はありませんか?

これは、何もしないほうが良いというものではなく、何も出来なかったということなのです。

では、この技術はどうして身につけるのか?

それは、技術力をもったベテランから学ぶ以外にありません。

学ぶということは、時間の短縮です。

自分一人では中々到達できない地点に一足飛びに到達できる。

すなわち、経験者は多くの経験を経て現在に至っている。

経験者の知識を得て、繰り返し学ぶことでレベルは急速に向上します。

写真とは、多くの知識と知恵と技術があってこそ、自在に表現できるのであって、単に感性(センス)だけあっても表現し得ないのです。

ですから、この環境に身を預けて、繰り返し努力をする。

これこそ上達の秘訣です。

決して、簡単ではありません。

しかし、レベル向上することによって大いなる高みより写真の全てを見渡せる。

この気持よさは何物にも代えがたい悦楽を得られるのです。

是非、より良き環境に身をあずけることをお勧めします。

 

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エジソンが言いたかった事

夏の終わり
夏の終わり

Genius is 1% of inspiration,and 99% of perspiration 

“天才とは、1%のひらめきと99%の努力である”

かの天才エジソンが言った言葉ですが、この言葉、単に100%の比率を表しているわけではないことはご存じですよね。

彼が言いたかったのは、99%の努力をしているからこそ、1%のひらめきがあるということを言いたかったのだと思います。

では、その努力の源はなにか?

人が努力できるか否かは、結果が読めるか否かによります。

すなわち、努力することで確実に達成できる目標であれば努力できるということです。

しかし、達成できる自信がないときには努力が出来ない。

ということになりますね。

ここで魔法のコトバを言いますね。

いい写真・チャンスに恵まれたいと思ったら

毎日写真を撮ってみよう。

ということです。

しばらくは、チャンスに出会わないかもしれません。

気に入った作品・いい作品が撮れないかもしれません。

でも、何度も繰り返し撮影をしていると、チャンスが巡ってきます。

そして、一度チャンスを掴むと、次から次へとチャンスを掴めるようになります。

ですから、その1%のチャンスを掴むために99%の努力を惜しまないことです。

やってみましょう。

チャンスはあなたが捉えてくれるのを待っています。

そう思う今日この頃です。

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Photographは真実を写す?

2013.08.07 九十九谷ISO100 f8 1/80sec 140mm
2013.08.07 九十九谷ISO100 f8 1/80sec 140mm

写真といえば、真実を写すものという意味。

だから、写真は加工したり、修正したりするものではない。

こう考えている人が多いですね。

確かに、カメラは撮影したものを正確に描写できる機械ではありますが、そこには限界もあります。

それは、明度の再現に欠かせない露出のラティチュード(許容度)が非常に狭いということです。

写真は、カメラという機械で撮影をし、フィルムやセンサーに画像を定着させるわけですが、そこには肉眼で見たものの全てが写るわけではありません。

思ったよりも、シャドー部が暗く潰れた、ハイライト部が白く飛んだ。実際の撮影現場で見えているものが、写らないからといって、それが真実だと言えるでしょうか?

そもそも、写真の語源であるPhotographとは真実を写すという意味ではなく、光を描くという意味です。

だからといって、画像処理ソフトのテクノロジーに頼りきってしまうのも作品制作とはいいがたいですね。

なんといっても主体性がないものは作品とは呼べませんし、ソフトに頼りきった画像処理は品格がなく、審美性にも乏しい。

写真はだれでも簡単に始められるし、現在の画像処理ソフトの性能はおどろくべきものです。今まででは考えられないほど、飛躍的に処理レベルが向上しているし簡単に美しく仕上げることができます。

しかし、簡単に自分の手で仕上げることが出来るからこそ注意が必要です。

リバーサルフィルムで撮影している人は、撮影後仕上げをプロの手に委ねる。しかし、デジタルは自分で仕上げる。

この差は、とても大きいのです。

プロやハイアマチュアなど、写真プリントとはどういうものかを知っている人たちは、デジタルで仕上げる際に、細心の注意をしてプリントを仕上げています。それだけでなく、仕上げで再現可能な範囲を理解したうえで撮影しています。

ですから、ハーフNDやPLフィルターなども使用します。

つまり、イメージを具現化するために必要な道具を使用して、仕上げのイメージを想定しながら撮影をします。

そこでは、何もしないということはありません。

もちろん、作品のスタイルにもよりますが、報道的なドキュメンタリーはそのような考え方は必要ないかもしれません。しかし、風景やスナップであっても、効果的な表現をするならば、時には濃度の調整などが必要になります。

そのためには、どうしたら良いのか?

まずは、カメラの機能、露出の意味など、撮影に関する知識と実技を繰り返し練習して、感覚をカメラにダイレクトに伝えることが出来るようになりましょう。

では、どういう練習がいいか?

それは、撮ってから考えることです。

逆はダメです。考えながら撮っている人がいますが、これは逆効果です。まだ、何も考えないで撮影したほうがマシです。

何より、考えながら撮ったら楽しくないですよね。

写真というのは感動しながら撮ることが大切で、考えながら撮ると感動が遠のいてしまいます。

感動しながら撮ろうとすると、いろいろな操作を忘れてしまう方は、撮影回数が少ないからです。

もっと、もっと撮りましょう。

そして、仕上がりを見て何が不足していたか、上手く行ったかをチェックしましょう。結果には必ず原因があります。

自分で考えても分からないときは、写真の知識があり、偏りがなく、的確な指導をしてくれる上級者(プロ)に質問しましょう。

決して、同じレベルの人には聞かないことです。

聞きやすさより、耳に痛くとも的確な回答をしてくれる人に尋ねましょう。

 

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諦めない写真術

2013.08.02 明野ひまわり ISO100 1/40sec F11 16mm
2013.08.02 明野ひまわり ISO100 1/40sec F11 16mm

風景写真など、天候に左右される撮影では、撮影地についた時に全く思った状況と違った場面に出会いますね。

たとえば、ヒマワリ撮影で夕焼けをバックに撮影する予定で行ったのにもかかわらず、ほとんどのヒマワリが萎れてしまっていて、天候も良くない。こんな時、誰しもモチベーション(やる気)が下がります。

しかし、そんな時こそ「技術」を使って表現するチャンスです。

思った状況にないときこそチャンスと捉えて色々なテクニックを加えて表現してみましょう。

ヒマワリが萎れていれば、萎れていない花を見つけて萎れた花と組み合わせることで、生命力を表現することができます。このような対比効果は力強く咲いている花を強調する効果があります。全部が綺麗に咲きそろっているときはシンプルにその風景を捉えるということで成立しますが、萎れた花がほとんどの場合はそういきません。
こんな時こそ、日中シンクロで撮影をするチャンスです。

今回は、最も簡単にできる夕景での日中シンクロの方法を説明します。

まず、露出を空に合わせてストロボをカメラに取り付けヘッドを空に向けてセットします。この時、絞り優先で、絞りは11~16にセットしてシャッタースピードを確認します。1/125秒以下であれば大丈夫です。

そして、金色のレフ(金色のレフは白飛びしにくいし、ヒマワリを鮮やかにしてくれます)を使ってストロボの上にかざすようにもって、角度をヒマワリに調整をすればトップバウンスで撮影出来ます。

なぜ、トップバウンスか?

まず、正面からでは、ストロボをあてた被写体の影が後ろの被写体に出来てしまい不自然になりますし、そもそも太陽は正面にはないからです。

光は常に上にありますから、光は上からが基本です。

撮影方法としては、外付けマニュアルのストロボの場合、発光部からレフ板、レフ板からヒマワリまでの距離にガイドナンバーを合わせるだけです。

絞り11で撮影するなら、ガイドナンバーが32程度(最も一般的なストロボはほとんどこのガイドナンバーです)のものであれば、パワーレシオを1/4程度にして撮影します。

後はレフ板を撮影ごとにレフ板の位置を上下させれば、光量を補正した段階露光と同じ効果になります。

外付け純正オートストロボなら、そのままのオート撮影でOKです。

ストロボの明るさを調整するにはストロボの調光補正ボタンで補正すれば光量補正できます。

よく勘違いする方がいますが、日中シンクロでストロボの明るさを調整する場合は、カメラ側の露出ではなく、ストロボの調光補正です。補正のマークに雷マークの付いているほうです。

撮影はジャズで言うジャム‐セッションと同じです。状況によって即興的に対応する気持ちの余裕が大切ですね。

風景は時に荒々しく、時に優しくやわらかな光で状況を演出します。その時々の状況に合わせながら、自分なりの風景を撮影していく。

この気持が大切です。

そして、このような表現が可能になるのは、「諦めない」気持ち以外にありません。

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ファーストインプレッション

向日葵の印象を多重露光で表現した作品
向日葵の印象を多重露光で表現した作品

写真を始めて、ある程度レベルが上がってくると写真が撮れなくなってくることがあります。

何故、撮れないのでしょうか?

それは、結果が想定できるようになるからです。

つまり、いい結果が予想できたときはシャッターを切れるが、いい結果を予想できないときはシャッターをきることが出来ないということなのです。

当然、いい結果を予想できるときは殆ど無いので、シャッターが切れなくなってしまいます。

以前、小学生の子供を写真撮影していた人が、なかなか子供の表情が上手く撮れなくて、撮影結果を液晶画面で確認するたびに首をひねっていました。つまり、思うように撮れなかったから、そのような行動をしたのですが、みるみるうちに子供の表情が硬くなって来ました。そして、最初のうちは笑顔だった子供はドンドン表情が硬くなり、その結果、上手く表情を作ることができなくなってしまったのです。これは、撮影者が上手く撮れないことを、自分が表情をうまく作れなかったことと考えてしまったことによります。

子供を含め人物撮影では、「のせる」ことが大切です。よくカメラマンがモデルにやっていますよね。「いいね~」「きれいだ~」等、傍から見たらちょっと引くぐらい大げさですね。でも、言われている方はそう思わないのです。でも、もっといいのは、いい表情になってきたら、間髪をいれずドンドンとシャッターをきることです。これが一番いいですね。この時あまり言葉をかけているとモデルは引き始めます。無言の連射が最もいい表情を出せます。

プロカメラマンはモデルの表情とリンクしてシャッターを切るので、モデルはドンドン乗ってくるわけです。

同じ事が風景でもいえます。

最初はいいと思った情景であっても、余分なものがあると、それが気になってアングルを変えたり、焦点距離をかえたりして撮影しようとします。

余分なところをカットしたのはいいのですが、構図のバランスが全くとれていないということになります。

写真で最も大切なのは、感性です。

被写体を見た時に感じた印象をそのまま撮影することは、とても重要です。

いいなと思ったら、まずシャッターを切ってしまう。

この行為がとても大切なのです。

あれやこれやと逡巡しているうちに、最初の印象は影を潜め、結局全く違った作品が出来上がってしまう。

なので、

いいなと感じたら、まずシャッターを切りましょう。

写真は一瞬が勝負です。

尚、最初に感じたことというのは、被写体だけでなく光の状況も踏まえて感じている場合が多いのです。

光が差し込んできたというほどドラマチックな状況でなくとも光は変化をしています。

いいと思った瞬間は光がBESTな状態だったかもしれません。極論をいえば、たとえその時に画角が少し傾いていても、あとで調整する手立てはあります。

しかし、撮影しなかったらどうでしょう。

「逃がした魚は大きかった」という気持ちになりますね。失敗体験です。この失敗したという気持ちが後々まで尾を引き、益々チャンスをのがしていく結果になるのです。

まず、シャッターを切ってから、気になる箇所があればアングルや画角を修正し、再度撮影をする。

光が雲間から出入りしているときは、光が射し込むチャンスを捉えるか、光が雲間にわずかに入った瞬間を捉えるなど、作品の印象に合わせて光を待つことも大切です。

しかし、なんといっても、まず撮影する。

ここが重要です。

写真はリズムが大切です。常に、リズミカルに写真を撮影していると、必ずチャンスに出会えます。このチャンスを引き寄せるためにもシャッターをきることです。

実はチャンスと思える状況は自らが引き寄せています。よって、写真はレベルの高い人ほど、チャンスの頻度が高まります。

それは、被写体には磁力があり、その磁力に波長を合わせることが出来るからで、自分の撮りたいイメージが鮮明にあるから、自然と感知できる能力が高まるのです。

ここで重要なのは、闇雲に写真を撮ることと、ドンドン写真を撮るということは同じではないということです。

やたら滅多に撮影している人がいますが、これは主体性の無いことを表しています。とにかく、どんなものでも撮っておこう。いいものがあるかもしれないからと撮りまくる。

このような人ほど、写真を選ぶ際にどれを選んでいいか分からない。

当然ですね。何を撮りたいか、どう撮りたいか、どう表現したいのか決まっていない人だから、何を選んでいいかも分からないのです。

このことが思い当たる人は、テーマを決めることをお勧めします。

今日の撮影は、光をテーマに撮ろうとか、新緑をテーマに撮ろう。歴史を感じるものを特に注意して撮っていこう等どんなことでも結構です。

そうすると、テーマに合うものを自然と探すようになりますから、無駄に多く撮るということはなくなります。

テーマを決め、ファーストインプレッション(第一印象)を大切に、リズムをもって、楽しみながら撮影をしてください。

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良い写真とは何か

よく教室で「何がいい写真ですか?」と言う質問があります。

いい写真とは何か?どういう写真がいい写真なんでしょうか?

コンテストに応募しているのに賞に入らなかったので、いい作品ではないのでしょうか?等、沢山質問されます。

まず、はっきり言えるのがコンテストでの写真の評価と、良い作品というものを同系列で考えないことです。

コンテストでは審査員の目を引く写真が入賞しますので、選外になった作品が他のコンテストに応募したら入賞するということもあります。

さらに、審査員が作者の意図以上の評価をすることもあります。このようにコンテストでは、選者によって作品の価値基準が違ってくるのです。

よって、作品が入賞するかしないかで一喜一憂する必要はありません。

勿論、審査員の中での基準はありますし、その基準に沿って賞は決められるので、確かに賞に入った作品というのは良い作品といえます。

写真の表現は多岐に及びます、たとえばスナップ写真しか撮ったことのない審査員にアブストラクト(抽象表現)は理解できるでしょうか。また、理解できたとしてコンテストの趣旨と違っていれば選ばれることはありません。

ここで、写真の本質の話をしましょう。

結論を言うならば、写真は自分が表現したいことを的確に映像で表現できた時に成功したといえます。

つまり、いい写真ということになります。

更に言うなら、このいい写真の基準も自分自身のレベルがアップすると、写真の見方が変わり自分自身の評価も変わってきます。

だからこそ、人が評価することが大切なのでなく、自分が表現したいものを表現する。この姿勢が大切なのです。

ただし、写真の知識・技術を含め、あらゆる表現を学ぶことが大切で、広い視野を持つことによって写真の本質が見えてくるのです。そのためには良い指導者が必要です。皆さんが表現したい作品を正しい方向に導いてくれる指導者の存在があれば、安心して自分の作品レベルを向上させることに集中できます。

このようにしてクオリティが向上した時、他の人からも良い評価が得られるようになります。

すなわち、良い作品とは多くの人が共鳴できる作品のことといえます。

最後に写真は、芸術と芸術でないものが有ることを理解してください。

芸術とは、創造性があり作者の意図が的確に表現できている作品で、芸術でないものは被写体に依存した作品です。

そして、コンテストは芸術性を評価するだけのものでは無いということです。

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